私たちカネマンの50年にわたる歩みをご紹介します。
ちなみに「カネマン」の「マン」は、初代・三浦万之助氏の「万(まん)」に由来しています。
現在は私三浦崇が5代目としてその意思を受け継いでいます。
私たちカネマンのルーツは、今から100年以上前の明治時代後期に遡ります。
創業家は、養殖業に従事していました。1933年(昭和8年)の昭和三陸津波では、家業にも甚大な被害が及び、それを機に海から陸へと目を向け、林業・製材業へシフトチェンジしました。
三代目会長によって電気工事業として事業を再スタートし、1954年には「三陸電業株式会社」として法人登記。
地域のインフラ整備を担う企業として、新たな一歩を踏み出しました。
1940年前後の白黒写真をカラー化した写真です。
中央に座る人物が万之助の次男で、法被姿の人は当時のカネマンの番頭です。胸元に「カネマン屋号」の文字が確認できます。
1974年、娯楽の需要が高まる中、150台を備えた「パチンコ45号線」を開業。これを機に「有限会社カネマン」として法人化し、パチンコ事業への本格参入が始まります。
地域の皆さまの笑顔とともに歩む。そんな想いが、この第一歩に込められていました。
フィーバー機の登場をはじめ、スロット機の導入など、業界の進化に伴い設備投資を推進。
所有台数は185台にまで増加し、多くのお客様で賑わう店舗へと成長していきました。
また、1982年には現会長・三浦憲氏が24歳で入社。
「カネマンの未来を担う」若き覚悟とともに、変革への舵が切られます。
1979年(昭和54年)のインベーダーゲームの影響で下火になっていた業界を盛り上げていきます。
遊技機に製造番号が付けられ、型式試験が開始されるなど、業界の近代化が顕著となります。
1992年、「CR機」の登場により、業界は大きな転換期を迎え、パチンコは現在に近い遊技環境が整っていきます。
これを契機に、2号店「ルート45」をオープン。従来の遊技提供だけでなく、接客や空間づくりといった“サービスの質”への意識が高まっていきます。
女性スタッフの積極採用や、労働環境の改善など、 カネマンならではの“おもてなし”文化が芽吹いた時代です。
健全営業の実現に向けた制度づくりやオペレーションの仕組み化が進められました。
3店舗体制でのリブランディングを行いました
「地域に根ざし、信頼される企業」へと歩みを進めます。
より多様な人材が活躍できる職場づくりを推進
蕎麦ブラザーズオープン
創業から半世紀。
カネマンは、地域に愛され、信頼される企業として、多くの節目を乗り越えてきました。
私たちの歴史は、社員一人ひとりの努力と、お客様との絆の積み重ねです。
この歩みを胸に、これからも地域社会とともに未来を築いてまいります。
地域社会との信頼を実現し、
社員一人一人か理念を共有して、
社会との共存を目指します。
人々に喜びと安らぎのある快適な空間を提供し、
コミュニテイーセンターを目指し、明るく楽しい社会づくりへの貢献。
社名ロゴならびに笑顔・感謝・思いやりロゴはカネマンの商標登録です。